通販の歴史

(3/4)1970年代の通信販売

(3/4)1970年代の通信販売

(6)クレジット・カードと通信販売

 クレジット・カードと通信販売の係わりには二種類あり、一つは代金決済手段としてである。もう一つは、会員誌や請求書などに同封されたパンフレットに通信販売広告を掲載し、受注や代金回収の代行を行うものである。ここでは、後者に関して扱う。カード会社が行う通信販売では、日本ダイナースクラブのものが64年で、最も早かった。60年代末にJCB、ミリオン・クレジットが参入し、70年代に入ると、住友、ダイヤモンド・クレジット、ユニオン・クレジットと各社の通信販売が出揃った。70年度には、およそ10億円の扱い高であったが、79年度には135億円と大きな伸びを示した(同書)。会員誌へ通販広告を出稿している企業は広範にわたっていたが、中でも百貨店の出稿が多くなっていた。

(7)郵便料金の上昇

 72年に郵便料金の値上げがあり、前回の66年に改定されたハガキは7円から10円に、封書は15円から20円になった。オイル・ショックを経て、76年にはハガキ20円、封書50円と改訂された。80年代に入り消費税導入による分を除くと、一回の料金改訂しかなかった。こうしてみると、70年代は、2回の値上げがあり、その上げ幅も大きかった時期といえる。

 通信販売ではカタログ発送、受注、商品発送等に郵便を利用する機会が多いので、その影響も大きなものであった。

 ダイレクト・メールの利用を中心とした通信販売から、新聞・雑誌、テレビなどの利用への移行がみられた。また、郵便料金だけが上昇したのではなく、それ以外の費用も上昇したので、ダイレクトメールに関しては、効率化が進む面もみられた。

(8)外資及び大手企業の参入

 戦後の通信販売は、もともと日本リーダーズダイジェスト社が先駆けであり、トップ企業であったので、外資の影響を多々受けているといえる。70年代に入り、フランクリン・ミント社が日本で通信販売を開始している。一層特徴的なこととして、百貨店と外資との提携が行われた。72年に西武流通グループとシアーズ・ローバック社、73年に松坂屋と西独のクエレ社、74年に大丸と英国ケイ社、75年に緑屋と西独ネッカーマン・フェルサンド社の提携が行われた。しかしながら、それは当時十分な発展をみなかった。

 通販業を開始する場合、通販で創業するもしくは主力をなす場合と、通販を営んでいなかった企業が参入する場合とある。後者に関して70年代をみると、ひとつには百貨店の参入が目立った。もともと、高島屋、三越などは戦前にも通販業務を行い、戦後もいち早く通販業務を行っている。後述する大規模店舗法が73年に制定されたことに期を同じくして、伊勢丹、松坂屋などの老舗系百貨店、阪神百貨店、東武百貨店、東急百貨店などの電鉄系百貨店ともに参入があり、主要な百貨店はいずれも通販業務に進出したことになる。また、ダイエーも76年に通販に参入した。

 さらに、ベスト電器、第一家庭電器、村内家具といった、専門店の参入がみられた。これらの他、後述のように、放送局関係の参入が多くあった。

(9)宅配便、コンピュータ、ニューメディア

 現在では、カタログ宅配、商品配送、さらには代金回収まで宅配便が利用されてきている。その宅配便の開始時期も70年代である。76年にはヤマト運輸の宅急便が登場、その後83年には取扱個数が一億個に達し、その翌年84年には郵便小包を抜くまでに成長した。その後、宅配便業者自らによる通販参入なども生じてくるが、通販の配達方法として現在の主力方法である宅配便の登場したのが70年代である。

 宅配便とともに、通信販売をサポートするコンピュータに関しては、オンラインの規制やデータベース技術水準などの面で、通販業務への応用はまだほとんど行われていなかった。70年代は経理や人事などへのコンピュータの利用の時期であり、戦略的なコンピュータの利用は、80年代を待つことになる。

 さらに、ニューメディアについてみると、70年代末はその萌芽の時期であるといえよう。キャプテンシステムは、79年にキャプテンシステム開発研究所が設立され、実験を開始した。ホームショッピングの実験は80年代に入ってから行われた。また、東生駒において双方向CATVの実験が開始されたのは78年であり、ここにおいてもホームショッピングの実験が行われた。

 このように70年代は現在の通信販売をとりまく環境の整備がはじまった時期といえる。